「なんで、ひらがなが読めないの?」
仕事で疲れ果てて帰宅した夜、泣きながら音読ができない息子を前に、私は何度もそんな言葉を飲み込んできました。 必死にフルタイムで働きながら、ひらがなが理解できないことに親子で疲れ果てていたあの日々。
実は、その生きづらさの正体は、息子の「甘え」でも私の「教育・力不足」でもなく、「学びの特性(学習障害)」でした。
こんにちは、ともぞうママです。
私は正社員として働きながら、息子の違和感に気づき、悩み抜き、ようやく「学習障害(LD)」という診断名にたどり着きました。
診断を受けたとき、ショックよりも先に感じたのは「これでやっと、この子に合った助け方がわかる」という安堵感だったのを覚えています。
この記事では、
- 「普通」ができなくて親子で泣いた、小1当時のリアルな葛藤
- 仕事と受診の両立に奔走した8カ月の記録
- フルタイムを離れ、家庭中心の暮らしを選んだ今の想い
を、包み隠さずお伝えします。
今、画面の前で「うちの子、どこか違うかも?」と一人で不安を抱えているママへ。
この記事が、あなたと大切なお子さんの明日を、ほんの少し明るく照らすきっかけになれば嬉しいです。
1.「ひらがなが読めない」から始まった違和感
音読ができない。
5月の運動会が終わり、小学校生活も落ち着いてきた頃。本格的に始まった宿題を前に、私は「学校の宿題はちゃんとやらなきゃね」と息子に声をかけ、連絡帳を見ながら国語の教科書を広げました。
でも、そこからが苦難の始まりでした。
「読んでごらん」と言っても、息子は一向に声が出ません。「なんて読むかわからない」と言う息子に、私は「これは『あ』だよ」「これは『う』だよ」と、何度も何度も繰り返し教えました。
「明後日くらいになれば覚えるかな」 そう思って見守っていましたが、1週間経っても息子はまた「なんて読むの?」と聞いてきます。
そんな姿を見ているうちに、ふと昔テレビで見た「ディスレクシア(読字障害)」という言葉が頭をよぎりました。学校からのお便りには「ひらがなの学習は終わりました」と書いてあるのに、目の前の息子はまだスタート地点に立っているような感覚でした。
衝撃だった「暗記」の事実
しばらくして、さらに驚くべきことに気が付きました。音読の宿題中、息子は教科書を目で追う素振りがなく、なんと2ページ丸ごと暗記して喋っていたのです。
「読めないから、全部覚えるしかない」
小さな背中を丸めて必死に暗記で乗り切ろうとする姿に、胸が張り裂けそうになりました。次の日、また次の日と覚えるページは増えていきますが、少し場所が変わればまた読めなくなってしまう。
「このままではいけない」 私は勇気を出して連絡帳を開き、担任の先生に今の状況を伝えました。
先生との面談、そして一歩前へ
「家庭でも教えていますが、ひらがなが読めないようです」 そう書いた日、すぐに先生からお電話をいただきました。先生も授業中の様子から気になっていたそうで、家庭でのドリルやタブレット学習を提案されました。
けれど、私は直感していました。「これは努力や練習のレベルではない」と。
「昔テレビで見た読字障害のような気がするんです」 何度も食い下がってお伝えしたことで、ようやく校内の特別支援教育コーディネーターの方へ相談を繋いでいただけることになりました。
2. 正社員ワーママを襲った『小1の壁』のリアル
息子と音読で格闘していたちょうどその頃、私の仕事もまた、限界に近い状態でした。
近隣の営業所で事務員さんが体調を崩され、急遽私が週1回、往復3時間かけて応援に行くことに。自拠点でも新入社員が入ったばかりで、教育と実務で現場はてんやわんや。そんな中、追い打ちをかけるように小学校から私のスマホへ連絡が入る日々が始まりました。
会議室へ駆け込み、電話越しに願う時間
会社の電話受付も担当していたため、私が席を外せば新入社員に負担がいきます。それでも、息子のSOSを逃すわけにはいきません。
「すみません、少し抜けます」
そう言って空いている会議室へ駆け込み、担任の先生と40分以上話し込むこともありました。ヘルプ先の営業所でも、自拠点の電話サポートをしながら、一方で小学校からの着信に抜けて先生と電話……。心休まる暇など一秒もありませんでした。
「18時の壁」と、頼れない孤独
私の勤務は18時まで。学校に折り返そうとしても、仕事が終わる頃には小学校には繋がりません。かかってきた「その瞬間」に出なければ、息子の支援の話が一歩も前に進まないというプレッシャー。
夫は昼夜勤のシフト勤務で、私以上に身動きが取れません。 「誰にも頼れない。でも、仕事も穴は開けられない。そして息子は苦しんでいる。」
フルタイムで働きながら発達の不安を抱えることの過酷さを、この時ほど痛感したことはありませんでした。
3. 受診から『学習障害(LD)』の診断が出るまで
学校の特別支援コーディネーターの先生が、数日間かけて息子の授業中の様子を観察し、信頼関係を築いてくれました。その上で、夏休み目前の6月下旬、2日間にわたる簡易的な発達検査が行われました。
校長室での面談と、高すぎる「予約」の壁
7月初旬の結果面談。私は仕事が外せず、休みを取った夫に託しました。 先生からの言葉は「小児神経科の受診をお勧めします」というもの。
夫は校長先生(以前教育委員会にいらして詳しい)から直接、おすすめの病院を3つ教えてもらったそうです。「校長室で緊張した」という夫の言葉に、事の重大さを改めて実感しました。
しかし、ここからが本当の戦いでした。 1つ目の病院の予約枠は、月に一度、わずか1時間のみ。 たまたま夏休みの有給休暇を取っていたので「夏休みの旅行中に車から電話すればいいや」と安易に考えていた私は、当日、血の気が引く思いをします。開始直後から電話は話し中。100回リダイヤルしても繋がらず、そのまま予約枠は終了してしまいました。
幸い、2つ目の病院で1ヶ月半後の予約を無事取ることができ、ようやく専門医の門を叩くことができました。
4ヶ月にわたる検査。支えてくれた夫への感謝
小児神経科での診察は、想像以上に丁寧なものでした。 1ヶ月目は心理判定員さんとの関係づくり、2ヶ月目はWISC-V、3ヶ月目は読み書き検査……と、診断まで4ヶ月を要するプログラム。
営業事務として月末月初の請求書発行という絶対に休めない業務を一人で抱えていた私に代わり、平日の検査にはほとんど夫が付き添ってくれました。この協力がなければ、受診を続けることすら難しかったと思います。
診断を待つ間の決意と、夫との温度差
検査結果を待つ間、私は必死に学習障害について調べ、ある結論に達していました。 「今の正社員の仕事と、息子のサポートを両立するのは難しい」
診断が出たら私が退職する。夫ともそう話し合っていましたが、この時の夫はまだ、どこかで「勉強すれば、いつかできるようになるはず」と信じたい気持ちがあったようです。
夫婦それぞれが、揺れる想いを抱えたまま、運命の診断結果の日を迎えました。
4. 診断を受けて変わった、親子の暮らしと働き方
年が明けた1月中旬。家族3人で訪れた診察室で、主治医から検査結果が手渡されました。 「学習障害(LD)です」 その一言と共に、通級指導教室と放課後等デイサービスの利用を勧められました。
「寄り添ってあげて」主治医の言葉で決まった覚悟
「お母さんが寄り添ってサポートしてあげたほうがいいですね」 先生のその言葉を聞いた瞬間、私の心の中でくすぶっていた迷いは消え、退職の決意が固まりました。
「これで、やるべきことが明確になった」 ずっと目の前を覆っていたモヤモヤが晴れ、頭の中ではすでに、退職の手続きや役所への問い合わせなど、息子を守るための「作戦会議」が始まっていました。 ふと横を見ると、夫は結果を凝視したまま硬直していましたが、その日のうちに「息子の未来のために、後悔しない今をサポートをしよう」と夫婦で心を一つにしました。
怒涛のサポート生活スタート
翌日には上司へ退職の意思を伝えました。部長との面談でも「お子さんのためなら」と背中を押していただき、スムーズに退職の手続きが進んだのは本当にありがたいことでした。
退職までの間も、息つく暇はありません。
- 市役所や通級センターへの相談
- 支援計画を作成してくれる相談所の選定
- 受給者証(サービス利用に必要な証書)の発行
- 放課後等デイサービスの見学と契約
息子と一緒にあちこちへ足を運び、3月下旬。息子はそれまでの子どもルームを退所し、新しい2か所の居場所へと通い始めました。
こうして、私の「息子専属サポーター」としての新しい生活がスタートしたのです。
5. まとめ:一人で悩んでいるママへ伝えたいこと
あの日、連絡帳に勇気を出して手で書き込んだ「ひらがなが読めないようです」という一文。 そこから始まった8カ月間の道のりは、決して楽なものではありませんでした。
フルタイム正社員というキャリアを手放すことに、不安がなかったわけではありません。でも、今の私の目には、暗記ではなく自分の力で一歩ずつ学びを進める息子の姿が映っています。
もし今、あなたが仕事と子どもの間で板挟みになり、一人で夜中に検索を繰り返しているのなら。 「診断名は、絶望ではなく、攻略本」です。
正解は一つではありません。でも、あなたが「おかしいな」と感じたその直感は、必ずお子さんを救う第一歩になります。この記事が、あなたの最初の一歩を後押しする力になれば、これほど嬉しいことはありません。

